2013年1月30日水曜日

「はい」と「はいではない」

キリストにあって提案されている神の赦し、憐れみ、慈しみへの応答は、わたしたちが好きなように考えられ得るものではない。結婚のプロポーズに似ている。プロポーズに「はい」か、それ以外「はいではない」か、どちらかである。神はキリストにあって愛を提案し、愛を約束なさる――婚約と結婚が一緒になっている感じ。それに対する「はい」は、聖書によって明らかになっている。すなわち、信仰(キリストへの全きの信頼)、悔い改め、洗礼、そして、神の助けによって、一生神に従う意図(少なくとも、神に従うように励む意図)。それだけである。それ以外のことは「はいではない」ことになる。だから「信仰の決断」は聖書的に言うとまだ「はい」にはなっていない。どこか水があるところに行って、始まったことを最後までやりなさい!まして「神が示してくださった愛に感謝している。このありがたさを忘れないでいこう」というような返事は、「はい」にはならない。あなたはうれしく思うかも知れないけれど、求愛する方はまだあなたの前でひざまずいて、待っておられる。

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