2012年4月15日日曜日

あなたがここにいるのは、わけあり(Ⅰヨハネ4:7-21)

夕の礼拝 聖路加看護大学オリエンテーションセミナー
清里『清泉寮』新館ホール


病院で働く牧師・司祭として、患者さんと話す機会が多い。話すというよりも、話を聞くことが多い。

医師や看護師などの医療者は、いつも二つの質問に取り組んでいる:
What(何であるか)とHow(どうやって)。

つまり、この患者さんの疾患は何であるか、診断する。そしてどうやってその病気を治せるか、どうやって患者さんのケアができるか。WhatとHow。

でもチャプレンは、よくWhy(何で・なぜ)という質問に付き添っている。何でわたしがこの病気になったのか。なぜ今こんな大変な眼に遭わなくてはならないか。もっと根本的なところで、なぜわたしは生れたのか。何で今生きているのか。Why。

だから、今夜は、皆さんと簡単に一つの質問について考えたい。それは、Why are you here?何であなたがここにいるのか。何で聖路加看護大学で勉強をしに来たのか。

「看護師になるためだ」と答える人は殆どでしょう。ある意味でその通りだと思う。でも、何で看護師になりたいと思ったのか。皆さんは、グループワークで「入学のきっかけ」についてすでに話し合っている(準備が終わっているでしょうか)。

でもわたしは、一つ大胆なことを言いたいと思う。信じてもらえないかもしれないけど、それでも大丈夫。でも、こういうことである看護師になりたいと思うようになったこと、そして聖路加看護大学でそのための勉強をしたいと思うようになったことは、最終的には皆さんに端をしている思いではない、ということである。

言ったら厄介なことになるかもしれないけれども、人生の意味は作り出すことではなくて、見出すことである。与えられていることである。同じように、皆さんの聖路加看護大学入学のきっかけも与えられたことだと思う。

自分にこの世に生を受けさせる人は誰もいない。いつ、どこの国、どういう家族に生れようか、と自分で決めた人はここに一人もいない。命は、自分を越えたところから授かっているものである。

そして命とともに、わたしたち一人一人に、運命、使命が与えられている、とわたしは信じている。一人一人が実は呼びかけられている。そして幸せになるには、その呼びかけに応えらなければならないのである。

現代世界ではこのような話が大それた異説になる。現代人であるわたしたちは、すべてを相対化しようとするから。「わたしにとっての真実」があって、「あなたにとっての真実」もあって、いずれも同じように妥当である、と。

しかもこの「わたしにとっての真実」を好きなだけ変えることができるのだ、と。都合のいい話だね。自分自身を作り変えることもできるのだ、と。人生の道を自分で決めることもできるのだ、と。人生の意味は自分で決めるのだ、と。

そうではありたいけれども、そういうわけには行かないのである。本当は違うのだから。

もちろん、変わって成長していくことができる。むしろ、成長していかなければならない。すべての勉強の目的は、勉強する人を変えることである。自分を変えない勉強は無意味であって、時間の無駄遣いである。

でも変わって成長していくことも、わたしたちの与えられた使命の中に含まれていると思う。わたしたちは成長していくようにも呼びかけられているのである。

人生の道は、自分勝手に決めるのではなくて、それを見出して、受け入れるものである。

でも、結局これはとてもありがたい話である。なぜかというと、自分の歩むべき道を見出して、それを受け入れることには、本当の自由がある、本当の幸せにつながることなのである。

自分自身への呼びかけに応えることには、深い喜びがある。

それは、呼びかけてくださっているのは、愛なのである。「神は愛です」とヨハネの手紙で書かれている(4:16)。

また、この手紙にはこういうことが書いている:
「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです」と(4:19)。

わたしたちが気づく前から、神にトコトン愛されているというのが、教会の確信しているところです。

ありのままのわたしが愛されているのです。ありのままのわたしです。そして、愛されているわたしが、今度その愛に応えるように呼びかけられているのだ、と。

結局、皆さんが今、ここにいらっしゃる理由はまさにそこにある。わたしたちみんなの運命は、愛をもっと神の愛に応えることなのである。

もちろん、どういうふうに応えるのか、その応えの形は、人によって異なる。さまざまな応え方がある。それも神の望みである。皆さんはそれぞれ違う賜物、違う背景、違うパッションをもって、違う出会いに恵まれてきたのである。

一人一人のユニークな経験によって、今、このときのために、皆さんが整えられてきたのである。そして、聖路加においても、さまざまな経験や出会いによって、さらに養われて、変えられて、成長させられて、これからの応え方が形成されていくのである。聖路加での3年間ないし4年間は、自分ならではの歩むべき道を探検する期間でもあると思う。

でも最終的に、わたしたちの運命は同じである。すなわち、個々人として、そして仲間として、わたしたちの人生は、わたしたちを造ってくださった神の愛に応えるためにある、ということである。

看護師として、その愛に仕えるために皆さんが召されているのである。だから、皆さんは、わけがあってここにいるのだと思う。

それに気づいていらっしゃるかどうか分からないけれども、あるいは漠然としてしか気づいていないかもしれないけれども、皆さんはすでにその呼びかけに実は応え始めていらっしゃる。

わたしが心から祈っているのは、愛である神があなたを選び、深く病んでいる世の中のいやしの働きに呼んでくださっていることに気づく喜びを味わえることである。

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