2012年12月5日水曜日

最後まで忍耐強く(ヘブライ10:31-39、マルコ13:14-23)


聖霊降臨後第25主日(B年)
聖路加国際病院聖ルカ礼拝堂
2012年11月18日・10時30分 聖餐式

僕は大学を卒業したら(誰も評価してくれない英米文学専攻で)、なかなか仕事が見つからなかった。就職活動にずいぶん苦労した。やっと、二つの仕事に就いた:昼間は身分の低い校正係で、夜はレストランのウェイターだった。ウェイターの方が遥かに給料がよかった。

こういうわけだったので、将来に対してかなり不安だった。ので、2日ぐらい休みを取り森の中の小屋で隠遁して、散歩したり、読んだり書いたり、じっくりと考えることにした。

2日が終わると、完璧な長期計画を打ち出していた。これからの人生のマップを作れたのである。仕事や大学院も入って、結婚や家族も、小説を書くことも、アメリカ中の旅行も――全部計画にあった。(来日することも司祭になることも全くなかった!)

完璧な長期計画が出来上がったから、将来に対してとても前向きになった。どこに向かっているか、そしてその行き方まで全部分かっていたから。これによってそれまでの不安はすっかり消えた――明るい将来の太陽によって不安の霧が晴れてきた感じだった。

ところが、家に帰ってから2週間と経たないうちに長期計画は台無しになってしまった。友人の結婚式で昔の恋人にばったり出くわして、女性との甘い将来の空想にふけって、遠く離れている町に引っ越すことにしたからである。

こうやって脱線したら、2度とその計画に戻ることはなかった。でも感謝!神は僕の人生に対して遥かにいい計画を立ててくださったのである。

とにかく、今は僕はできるだけ計画性のない人生を送ろうとしている!一日一日着実に生きて、神に導かれるままに、その都度、動きたいと思っている。
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それにしても、時々不安にある。当然だと思う。将来がどうなるか見えないことは大変である。しかも、わたしたちはかなり不安定な時代を過ごしていると思う。そして結構厳しい、余裕の無い日本社会になっている気がする。

不安定といえば、今、日本には政権がないのは、どういうことだろうか!!中国も新しく選出された総書記もいるけれども、それによって日中関係はどう変わるか、予想が付かない。尖閣諸島の関係で威嚇ごっこはかつてよりも激しくなっている気がする。いつでもエスカレートする可能性があると思う。

日本経済も相変わらず不景気。アメリカはもっとひどくて、まだまだどん底に当たっていない。最悪の時はまだ訪れていない。日本の年金制度はいつ破綻してもおかしくない。福島原発問題はまだまだ解決されない――後70年ぐらい掛かるであろう。

教会にしても、不安定な時期である。東京教区は急激に衰退している。聖職者も足りない、しかもニューフェースはなかなか現れて来ない。洗礼より葬儀の数の方が遥かに上回っている。今度の金曜日の教区会では、殆ど話すネタがないぐらい疲れていると思う!

僕の人生も、皆さんの人生も、ものすごく平穏かというとそうでもないであろう。心配は多い!仕事やお金の心配をしている方はここにもいらっしゃるであろう。ご自分の健康あるいは愛する人の健康の心配をしている方も。家族とのあるいは他の人との関係で悩んでいる方もいらっしゃる。独りぼっちにならないか、と心配している方もいらっしゃる。

しかも、信仰生活においてはいかがでしょうか。神との関係は?祈る生活は?やるべきことをちゃんとやっているのか。歩むべき道をしっかり歩んでいるのか。このままでは神に喜んでもらえるだろうか。心配は多い。
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2,000年前も一緒だった。イエスも非常に不安定な時代を過ごされた。当時のパレスチナは貧困問題で苦しんでいた。国のトップの間での腐敗もひどかった。空腹を覚える人は大勢いた。希望を持てない人も。

ローマ帝国に対する暴動もしばしば発生する。毎回、必ずローマ帝国は容赦なく鎮圧する。一万本の十字架からユダヤ人の血が流れている時代だった。

とてつもなく大きな嵐がなりかけていたことは明らかだった。ユダヤ人とローマとのにらみ合いはいつまでも続かない。どこかでエスカレートしてしまうであろう、と。

みんなこの緊張感の中で生活を送っていた。厳しい、余裕の無い社会になっていた。優しさ、思いやりはあまり見えてこない。みんな自分のことで精一杯になるのである。

しかもユダヤ人は、これらの困難や苦難は結局自分たちのせいだと思っていた。自分たちも先祖たちも神に反抗して、神の言うことをずっと聞かなかったからこういうことになったのだと思っていた。神はうんざりではないか。見捨てられているのではないか、と。

とにかく、ユダヤ人の深い心配は間違っていなかったことが明らかになった。イエスが予告なさったとおり、彼らの世界が崩壊したのである。

そのひどい歴史はご存知?紀元66年、パレスチナの中のユダヤ地方でローマ帝国に対する暴動が起こった。これを知った皇帝ネロは大きな鎮圧軍を派遣した。まず、ユダヤ地方の北部の抵抗勢力を取り除いた。それから首都のエルサレムに向かっていく。

ローマ軍はエルサレムを包囲して、70年に城壁を破った。町全体を焼き討ちした。ユダヤ教の本山で、最も聖なる場所となる神殿も焼き討ちされて全滅する。その中の聖なる家具や道具は、ローマに運ばれてローマの勝利を記念するために展示された。

そしてエルサレムは血まみれになってしまった。当時の歴史家ヨセフスによれば、およそ百十万人は虐殺されて、九十万人は捕囚となり、エジプトの鉱山で強制労働させられるか、あちこちの競技場に送られて、剣闘士の試合のハーフタイムで動物とかで殺されるネタになる。

ヨセフスはこう書く:「城壁内の虐殺はとてもひどかった。男女老若も、反乱者も祭司も、戦った人も慈悲を請った人も、無差別に大虐殺で倒された。」
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さて、この中で「良い知らせ」は果たしてどこにあるのか。今日みたいな福音書箇所を読むときの課題はそこである。神の恵みはどこか。わたしたちの希望はどこか。

でもちゃんと見れば、良い知らせが見つかる。聖書は恵みの宝庫である。ちょっと捜せば喜ばしいことが出て来る。

今日の福音書の良い知らせはこのイエスの最後の言葉で示唆されている気がする。
「一切の事を前もって言っておく」(マルコ13:23

イエスは、困難や苦難のときがあるよ、ということを前もって教えてくださる。愛のゆえに本当のことを仰る:険しいときに見舞われるのだ、と。つまり、大変だということがイエスに分かっている。わたしたちの悩みはキリストの視野に入っているわけ。

キリスト教の本当の信仰は御利益ではない(御利益キリスト教を訴える偽預言者はいれけれども)。献金箱にお金を入れて祈ったらジャジャーン!もはや苦しいことも悲しいこともなく、すべての人間関係がうまくいって、商売繁盛になり、受験も立派に合格する!

――のではない。クリスチャンも他の人と同じように苦しむ。周りの人を傷つけたり周りから傷つけられたりする。挫折する。病気を患う。寂しくなる。大事なこと、大事な人を失ってしまう。クリスチャンも他の人と同じように死という生涯の区切りを迎える。

福音の約束はこれである:神はマジックのようにこられの困難や苦難を取り除いたりはなさらないけれども、何があっても神は共にいてくださり、これらの困難や苦難を最後まで忍耐強く耐える力を与えてくださるのだ、と。

困難や苦難を消すには、神は自分たちの自由、そしておそらく数万人の自由を無視しなければならないのではないかと思う。神はそういうことはなさらない。良し悪しを選ぶ自由、愛する・しない自由は、人間らしさの基盤なのである。神はわたしたちの自由をあくまでも尊重なさる。

要するに、神から与えられている自由の暗黒面は、自分のことしか考えなかったり、人を傷つけたり、苦しみに無関心であったりする人で世の中がいっぱいになっている。わたしたち自身を含めてそういう人が多くいる。そして多くはないけどある人は、大勢の人に大きな害を及ぼしてしまう。そこまでみんなの自由が許されているのである。

ところがこの中で、神は常に見守ってくださる。よく気付かれないうちに常に助けて、励まして、支えてくださるのである。
「主がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、主は御自分のものとして選んだ人たちのために、その期間を縮めてくださったのである」(マルコ13:20

神は必ずしもわたしたちが直面している困難や苦難を取り除いてくださらないかも知れないが、それらの中で必ず助けてくださる。

イエスはその弟子たちに前もって険しいときに見舞われることを教えてくださった。気をつけて、不意打ちされないで、絶望しないで、最後まで耐えるためにそういうことを仰ったのである。でも次のことをも弟子たちに、そしてわたしたちに仰る:
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:20

イエスはあなたと共にいてくださる。何を心配していらっしゃるか、どんな困難や苦難を直面しているか、イエスは共にいてくださる。そしてこの教会と共にいてくださる。

絶望しないで、最後まで耐えれるように助けてくださる。

しかも、イエスにすべてをゆだねる人にとっては、その「最後」は本当に明るいものになる。

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