2012年2月19日日曜日

内面的生活を第一に(申命記6:1-9)

夕の礼拝 2012年2月19日

申命記という書物は、エジプトでの奴隷生活の苦しみから神に導き出されたイスラエルの民に向かって、モーセが語る長いスピーチです。その冒頭にこの言葉があります(申命記6:4):

♪ シェマ、イスラエル、アドナイ エロヘイヌ、アドナイ エハッド ♪
聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。


そしてその続き(日本語のヘブライ語順に合わせて):
あなたの神、主を愛しなさい、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして。 
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新約聖書も旧約聖書も、その中心の中心に、神との親しい関係があります。

この関係しか、人間の心の奥底にある望み、渇望を満たすことができません。モノも、お金も、成功も、恋愛も、名誉など、これらのことだけでは、満ち足りた心が得られない。心の本当の平安が得られないのです。

申命記の6:4-5は「シェマ」(「聞け」)と呼ばれます。ユダヤ人はこれを毎日唱える習慣があります。
「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたの神、主を愛しなさい、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして。」

敬虔なユダヤ人であったイエスも、これを「第一の掟」として認められました。
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「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして。」
神との交わりは心にも魂にもーー要は、わたしたちの理性にも、わたしたちの意志にも、わたしたちの感情にもーーつまり、内面的生活全体に関わっている、ということです。

新約聖書も旧約聖書も、その中心の中心に愛があります。

まず、神のわたしたちへの愛があります。そしてそれから生まれる、わたしたちの神への愛があります。申命記の7章(9-13)には:
「あなた[神の子供たち全員]は知らねばならない。あなたの神、主が神であり、信頼すべき神であることを。この方は、ご自分を愛し、その戒めを守る者には千代にわたって契約を守り、慈しみを注がれる...あなたたちがこれらの[掟]に聞き従い、それを忠実に守るならば、あなたの神、主は先祖に誓われた契約を守り、慈しみを注いで、あなたを愛し、祝福し、数を増やしてくださる。」
「慈しみを注いで、あなたを愛し、祝福してくださる。」*こういう*天の父との親しい交わりにわたしたちが招かれています。

それと比べて、モノも、お金も、成功も、恋愛も、名誉も、結局足りないものだと分かります。

イエスは長い間、荒れ野で祈りながら断食しておられ、お腹が大変すいてきたとき、悪魔から一つの誘惑を受けられました:「あんたは神の子なら、持っているはずの不思議な力を使ってこの石をパンに変えればどうだ」と。

こういうふうに誘惑されたイエスは申命記のみ言葉を抜粋して答えられました:
「人はパンだけで生きるのではない。人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」(申命記8:3)

つまり、人間の内面的な生活、神との交わりを慕う心、こういうことはものよりも、食べ物そのものよりも遥かに大事だということです。心の奥底の渇望は、主の口から出る言葉によって*のみ*満たされるのです。

わたしたちは物質的に恵まれているとき、あるいは世俗的な意味でうまくやっているときに、一つの危険があると思います。それは、高慢になって神を忘れてしまう、ということです。すべてのものは主からいただく賜物であることをすっかり忘れてしまうのです。神なんて要らない、とそこまではっきりした考えがなくても、神が*いないかのように*生きようとするのです。

「自分の力でいけんじゃない?」と勘違いしてしまいます。

病院という場所は、そういう勘違いができなくなってしまった人たちが集まる場所です。病気になってしまう、あるいは親しい人が病気になってしまうと、自分の力がいかに小さいものか、いかに神の恵みによって生かされてきたか、ということに気づかされることがあります。

病気にならなくてもこういう勘違いを防ぐ方法は、やはり感謝することだと思います。

申命記8章:
「あなたは食べて満足し、良い土地を与えてくださったことを思って、あなたの神、主をたたえなさい。わたしが今日命じる戒めと法と掟を守らず、あなたの神、主を忘れることのないように、注意しなさい」(申命記8:10-11)

神をたたえる、神に感謝することです。

だから、お金があろうと貧乏であろうと、生活がうまくいっていてもいっていなくても、人生の中心に置くべきことは、お金、モノ、成功などではなくて、唯一わたしたちの心の奥底の渇望を満たすことができる、神との交わりです。

実は、神ご自身がその交わりを慕う思いをわたしたち人間の心に置いてくださいました。その子供たちがご自分を忘れないために。

大先生の聖アウグスティヌスは、このことにひらめいたのです。その自伝の冒頭にこういう言葉があります:
「あなたはわたしたちをご自身に向けてお造りになった。だから、わたしたちの心はあなたのうちに憩うまで、安らぎを得ることができないのである。」(『告白』)

祈りましょう。
主よ、あなたは豊かな愛をわたしたちに注いでくださいます。また、愛の交わりにわたしたちを招いてくださってありがとうございます。あなたはわたしたちを愛し、祝福してくださると約束されました。どうか、わたしたちも心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたを愛することができるようにしてください。また、表面的なこと、お金やモノや成功やこの世的なことを人生の中心にすることなく、内面的な生活、つまりあなたとの交わりを一番大事にして、あなたのみ言葉一つ一つを心の養いとして求めるようにならせてください。アーメン

1 件のコメント:

  1. 当たり前のことですが、当たり前にできない。キリスト者も毎日唱えたほうが良いかもしれないですね。

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