「弟子たちは心の中で非常に驚いた。パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである。」(マルコ6:51b-52)
弟子たちはわずか5つのパンで約1万人が満腹したのを自分の目で見たのに、まだ分かっていなかった。今日でもその話を理解せず、「仲良く分かち合おう」というありふれた倫理物語として捉えてしまう人が多い。5つのパンの話は物を分けることとは全く関係なく、キリストが誰なのかということとは大いに関係がある。キリストによって「可能」と「不可能」という先入観は打ち砕かれる。み国が到来すれば何事も成らざらん。赦され得ない罪もない。外せないかせもない。乗り切れない困難もない。み国の王は湖の上を歩くことができる。わたしたちを救うことも当然できるのである。
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