2012年1月31日火曜日
conversion grace #89
One of the things I am most grateful for after my conversion is the recovery of uncynical laughter--one of the many things I had thought lost forever and over which I had grown tired of mourning.
幸せを増やす方法
確実に幸せを増やす方法をご紹介したいと思います。簡単です:
もっと歌う、もっと笑う、もっと感謝する。
それだけです。歌ったり、笑ったり、感謝したりすることは、いずれも幸せのときに自然に出て来ることなんですが、わたしが提案したいことは、特に幸せを感じていないときに、これらのことをあえてすれば、幸せを誘発する効果がある、ということです。
まず、もっと歌うこと。
田舎とかは分かりませんが、東京では外で歌い出すと変てこりんだと思われてしまいます(わたしもそう思うもの!)だからみんなこっそりとカラオケボックスに忍び込んで、わざわざお金を払って歌うのですね...
歌うのはただだよ!と言いたいです。教会に来ればただで歌わせてあげますよ!
僕も歌いまくってます。毎朝の礼拝、日曜日の礼拝、産科クリニックで生まれ立ての赤ちゃんを抱っこしているお母さんたちと、結婚式、お葬式、聖書勉強会が始まる前、病棟で、などなど。
とてもLuckyだと思っています。幸せに感じます。
もっと笑うこと。
この間テレビで、ベットナムのハノイの取材で、公園で笑いの集いをしていた。ただ単に笑っていた、無理やり。心身ともにいい影響を与える、と。日本でもそういう祭りがあります。
残念ながら、日本ではたいていのいわゆる「お笑い芸人」は最近つまらなくて、あまり笑わせてくれないのですが、逆に、あまり笑いを出さないように自分を抑えている人も少なくない気がします。自分もそうだと思います。
(わたしは、帰りの電車できっとスゴイ表情をしています。なぜそう思うかと言うと、家に着くと額に深いしわがいつもできています...)
[この間電車に乗ったらエコバッグを持っている男性がいました。よく見ると、エコバッグから犬のボクサーの顔が出ていました...あのみにくくて可愛いボクサー、頭だけ、ベロを出しっぱなしキョロキョロ見ていたのです...とても可愛かった。
そして気づくと、社内全体の人がそのワンちゃんを見て微笑んでいました。とても気持ちよかった!電車はいつもこんな感じだったいいのにな、と思いました。]
最後に、もっと感謝すること。
いちばん難しいけどいちばん有効な幸せを増やす方法だと思います。
都会の住んでいると緑、日光、土の匂いが少ないせいか、「とりあえず不満病」にかかりやすいと思います。「とりあえず不満病」というのは、大してつらいこと、大変なことがなくても、むしろリッチな生活を送っていても、「とりあえず不満」になりがちのことです。
すでにあるものに満足を見出さない。物足りなさに目を向ける。隣の人をうらやましがる。
情けない病気です!
感謝すべきところがたくさんあるはずです。なかったら探しましょうよ、と言いたいです。
コリー・テン・ブームは、オランダ人の女性で、第二次世界大戦のとき自分の家でユダヤ人をかくまった犯罪でドイツのラーフェンスブルク強制収容所という「生き地獄」に、お姉さんのベッツィーとともに送られました。後でそれについて証を書きました(『わたしの隠れ場』=『隠れ家』という映画にもされました)
収容所で囚人たちが寝る大部屋に案内されると...そこはぎゅうぎゅう詰め、1つのベッドに4,5人が寝ないといけない状態でした。また、汚くて、臭くて、しかもノミだらけ!看守が鬼のように残虐ですし、全く人間が暮らす環境ではなかったのです。
そこで敬虔なクリスチャンであるお姉さんベッツィーは隠し持っていた聖書を開き、読み始めました。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」
ベッツィーは「神に感謝しよう」と言うと、Corrieは耳を疑います。でもベッツィーは、そういうところでも、そういう状況に置かれても感謝できることだってある、と言うのです。
例えば...今日という日も迎えることができたこと。2人姉妹が一緒にいられること。聖書一冊だけ、奇跡的にこっそり持ち込めたこと。他の人に神の愛を伝え、励まして慰める機会が与えられていること。そして、生きる人と死んだ人の父である神と何があってもつながっていること。
しかも、「ノミにも感謝します」、とベッツィー。さすがにコリーは、この祈りには抵抗しました。「それはやり過ぎ」と。(実は、ノミがあまりにも多すぎているので、大部屋に看守たちは入りたがらないのです。そのおかげ、そこだけがオアシスになっていたのです]
もっと歌う、もっと笑う、もっと感謝する。そうすると、必ず幸せを増やすことができると思います。
皆さんは、この方法を試してみませんか?
もっと歌う、もっと笑う、もっと感謝する。
それだけです。歌ったり、笑ったり、感謝したりすることは、いずれも幸せのときに自然に出て来ることなんですが、わたしが提案したいことは、特に幸せを感じていないときに、これらのことをあえてすれば、幸せを誘発する効果がある、ということです。
まず、もっと歌うこと。
田舎とかは分かりませんが、東京では外で歌い出すと変てこりんだと思われてしまいます(わたしもそう思うもの!)だからみんなこっそりとカラオケボックスに忍び込んで、わざわざお金を払って歌うのですね...
歌うのはただだよ!と言いたいです。教会に来ればただで歌わせてあげますよ!
僕も歌いまくってます。毎朝の礼拝、日曜日の礼拝、産科クリニックで生まれ立ての赤ちゃんを抱っこしているお母さんたちと、結婚式、お葬式、聖書勉強会が始まる前、病棟で、などなど。
とてもLuckyだと思っています。幸せに感じます。
もっと笑うこと。
この間テレビで、ベットナムのハノイの取材で、公園で笑いの集いをしていた。ただ単に笑っていた、無理やり。心身ともにいい影響を与える、と。日本でもそういう祭りがあります。
残念ながら、日本ではたいていのいわゆる「お笑い芸人」は最近つまらなくて、あまり笑わせてくれないのですが、逆に、あまり笑いを出さないように自分を抑えている人も少なくない気がします。自分もそうだと思います。
(わたしは、帰りの電車できっとスゴイ表情をしています。なぜそう思うかと言うと、家に着くと額に深いしわがいつもできています...)
[この間電車に乗ったらエコバッグを持っている男性がいました。よく見ると、エコバッグから犬のボクサーの顔が出ていました...あのみにくくて可愛いボクサー、頭だけ、ベロを出しっぱなしキョロキョロ見ていたのです...とても可愛かった。
そして気づくと、社内全体の人がそのワンちゃんを見て微笑んでいました。とても気持ちよかった!電車はいつもこんな感じだったいいのにな、と思いました。]
最後に、もっと感謝すること。
いちばん難しいけどいちばん有効な幸せを増やす方法だと思います。
都会の住んでいると緑、日光、土の匂いが少ないせいか、「とりあえず不満病」にかかりやすいと思います。「とりあえず不満病」というのは、大してつらいこと、大変なことがなくても、むしろリッチな生活を送っていても、「とりあえず不満」になりがちのことです。
すでにあるものに満足を見出さない。物足りなさに目を向ける。隣の人をうらやましがる。
情けない病気です!
感謝すべきところがたくさんあるはずです。なかったら探しましょうよ、と言いたいです。
コリー・テン・ブームは、オランダ人の女性で、第二次世界大戦のとき自分の家でユダヤ人をかくまった犯罪でドイツのラーフェンスブルク強制収容所という「生き地獄」に、お姉さんのベッツィーとともに送られました。後でそれについて証を書きました(『わたしの隠れ場』=『隠れ家』という映画にもされました)
収容所で囚人たちが寝る大部屋に案内されると...そこはぎゅうぎゅう詰め、1つのベッドに4,5人が寝ないといけない状態でした。また、汚くて、臭くて、しかもノミだらけ!看守が鬼のように残虐ですし、全く人間が暮らす環境ではなかったのです。
そこで敬虔なクリスチャンであるお姉さんベッツィーは隠し持っていた聖書を開き、読み始めました。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」
ベッツィーは「神に感謝しよう」と言うと、Corrieは耳を疑います。でもベッツィーは、そういうところでも、そういう状況に置かれても感謝できることだってある、と言うのです。
例えば...今日という日も迎えることができたこと。2人姉妹が一緒にいられること。聖書一冊だけ、奇跡的にこっそり持ち込めたこと。他の人に神の愛を伝え、励まして慰める機会が与えられていること。そして、生きる人と死んだ人の父である神と何があってもつながっていること。
しかも、「ノミにも感謝します」、とベッツィー。さすがにコリーは、この祈りには抵抗しました。「それはやり過ぎ」と。(実は、ノミがあまりにも多すぎているので、大部屋に看守たちは入りたがらないのです。そのおかげ、そこだけがオアシスになっていたのです]
もっと歌う、もっと笑う、もっと感謝する。そうすると、必ず幸せを増やすことができると思います。
皆さんは、この方法を試してみませんか?
2012年1月26日木曜日
the gospel is this
"The gospel is this: We are more sinful and flawed in ourselves than we ever dared believe, yet at the very same time we are more loved and accepted in Jesus Christ than we ever dared hope."--Tim Keller, Senior Pastor of Manhattan's Redeemer Church, on various occassions
「福音はこれである。わたしたちは、思っていたよりもずっと罪深くて歪んでいる者であると同時に、イエス・キリストにおいては、わたしたちがあえて望んでいたよりもずっと愛され、受け入れられているのだ、ということである。」ーティモシー・ケラー、マンハッタンにあるリディーマー教会牧師、あちこち仰る
ちなみに、リディーマー教会が2010年から東京の銀座に教会を植え付けた:グレースシティチャーチ東京。礼拝は日曜日の午後3時からだからいつか行ってみたいと思います。
Redeemer has a new church plant called Grace City Tokyo. Worship on Sundays at 3pm--I plan to visit one of these days...
2012年1月17日火曜日
dr. hosoya's haiku (i)
Dr. Hosoya, Chief of Pediatrics at the hospital, asked me to translate his haiku used in a new documentary about him, called "Daijoubu (It's Going To Be Okay)". It's heading to a film festival in Europe soon.
Here are some of the results:
Here are some of the results:
がんの子のBackstory: A scene from the camp Dr. Hosoya helps run, for children diagnosed with cancer.
おはなし会に
銀やんま
silver dragonfly
eavesdrops on the conference of
children with cancer
フラッシュでBackstory: After the evening bonfire, a girl was taking pictures of the night sky using the flash setting.
星を撮る子もみて
キャンプ
starry night at camp
a child's camera points up
and clicks, flash goes off
生キ死ニのはなしを
子らに 油照
hot day with children
talking about life and death
sweltering stillness
みとること
なりはひとして
冬の虹
this is my calling
keeping watch as children die
rainbows in winter
颱風の中Backstory: Sitting vigil with a dying child, alleviating her suffering.
モルヒネの
効いてゆく
little one passing
morphine starts to take effect
typhoon winds raging
窓に子のBackstory: Another camp scene
息それぞれに
夜の冬
frosted window pane
trace of many little breaths
a winter's evening
悲しき時のみ
詩をたまふ神
雁渡
only in sorrow
are poems sent from Heaven
passing flights of geese
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