2011年9月21日水曜日

この時のためにこそ(エステル記)

夕の礼拝 2011年9月18日

古代文学の中でも、エステルの物語は本当に優れたものとなっています。

この物語に出て来るおもな登場人物を紹介します。次の4人です:
  • ペルシャの王、クセルクセス
  • その妻となる、ユダヤ人の超美人エステル
  • エステルを子供のころから育ててくれたいとこのモルデカイ
  • クセルクセス王の高官ハマン
エステル記の設定は、紀元前4世紀。その前、エルサレムがバビロニア王国に壊滅させられ、多くユダヤ人がとりとしてバビロニア各地へ強制移住させられた(=いわゆる「バビロン捕囚」の時代)。後にバビロニアはペルシャ大王国に征服されてしまいます。ペルシャ(現在のイラン)はインドからエチオピアまでわたる大王国でした。

だから、ユダヤ人がペルシャの支配下になった時代がこのエステル記の設定になります。

ストーリーの中で、ペルシャ王クセルクセスの高官ハマンはユダヤ人の虐殺を図りました。なぜかというと...

王宮で働いている一人のユダヤ人がいました。それは、エステルを育ててくれたモルデカイでした。(エステルは幼子のとき両親を亡くしたようです。)

ちなみに、エステルはものすごい美人でした。聖書は、人の外見を詳しく描くことはあまりしませんが、エステルについて「その姿も顔立ちも美しかった」と書いてあります(2:7)。そうとうの美人だったようです。

実は、エステルは王宮の美人コンテストで優勝して、クセルクセス王の王妃に選ばれた人です。

エステルは、モルデカイの指示を受けて、自分がユダヤ人であることを隠していました。

とにかく、ハマンという人が高官になったときのことです。クセルクセス王の命令で、新しく高官の立場に就いたハマンが前を通ると、必ずひざまずいて敬礼しなければならないことになりました。

しかし敬虔なユダヤ人であるモルデカイはそれ拒否します。ただの人間を神扱いしてはいけないからです。

これに気づくハマンは激怒します。そしてハマンはクセルクセス王に次のように言います:
ユダヤ人という民族は自分の法律(つまり律法)があり、「王の法律には従いません」(3:8)

すごい大げさ!モルデカイという一人のユダヤ人がハマンに敬礼しないことだけで、ユダヤ人全体が破壊的な存在だ、というのか。傷ついたプライドから生まれる怒りは恐ろしいものですね。

とにかくハマンはこういった嘘をついて、クセルクセス王にユダヤ人を滅ぼすようにけしかけます。そして王の名によってユダヤ人民族浄化の勅書を公布させます。

大王国の至るところにユダヤ人の間で大混乱が起こります。モルデカイも、この勅書の話を耳にすると「衣服を裂き、粗布をまとって灰をかぶり、都の中に出て行き、苦悩に満ちた叫び声をあげた」のです(4:1)

そしてモルデカイはいとこのエステルにメッセージを送ります:「王のもとに行って、わが民のために寛大な処置を求め、嘆願するように」(4:8)

しかし、これまでに「隠れユダヤ人」だったエステルは嫌がります。ユダヤ人を代表するつもりはありません。自分なりの生活、立場もあります。しかも、実は危ないことを頼まれています:
「この国の誰もがよく知っているとおり、王宮の内庭におられる王に、召し出されずに近づく者は、男であれ女であれ死刑に処せられる、と法律に定められています。しかもこの一ヶ月わたしにはお召しがなく、王のもとには参っておりません。」(4:11)

話を聞いてもらえる立場ではない、と断ります。

そこでモルデカイは次のような返事を送ります:「他のユダヤ人はどうであれ、自分は王宮にいて無事だと考えてはいけない。」(4:13)いずれお前も危ないぞ、ということです。

そしてモルデカイは言います:「この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか。」(4:14)

エステルはこの言葉に心が大いに打たれます。モルデカイに返事します。「急いで、首都にいるすべてのユダヤ人を集め、わたしのために三日三晩断食し、祈ってください...このようにしてから、定めに反することではありますが、わたしは王のもとに参ります。このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります。」(4:14, 16)

エステルは勇気を出して、おののきながら王のもとに参ります。「女性パワー」なのか「神の摂理」なのか(両方なのか)分かりませんが、王は彼女の話に耳を傾けます:「どうしたんだい?願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」(5:3)

ストレートではなくて、「もし王のお心に適いますなら、今日わたしは酒宴を準備いたしますから、ハマンと一緒にお出ましください。」(5:4)そして酒宴の場で、みんなが盛り上がっているところ、王はエステルに言います:「何か望みがあるならかなえてあげる」(7:2)

エステル:「もし特別なご配慮をいただき、わたしの望みをかなえ、願いを聞いていただけますならば、わたしの命とわたしの民族の命をお助けいただきとうございます。わたしとわたしの民族は取り引きされ、滅ぼされ、殺され、絶滅させられそうになっているのでございます。」(7:3-4)

突然こう言われたクセルクセス王は憤慨します:「一体、誰がそのようなことをたくらんでいるのか、その者はどこにいるのか?!」と聞きます。

エステル:「その恐ろしい敵とは、この悪者ハマンでございます!」(7:5-6)ジャジャーン!

すると、ハマンはひどい目に遭います。モルデカイをつるそうとして、ハマンが立てた柱に自分自身がつるされてしまいました。いい気味だ!

ユダヤ教では、この出来事を記念に、大きな祭りが行われます。プーリームという大祭りは、3月あたり、春を間近に迎える時期の祭りです。子供も大人も仮装をしたり、にぎやかな遊びで盛り上がる。悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わったときとして、この出来事をお祝いする...
+   +   +
「この時のためにこそ...」

神はその人、その人ならではの使命を与えます。自分が置かれている状況の中で、自分が持っている賜物をもって、自分にある関わりを通して、やることが与えられているのです。

エステルのようにその民を虐殺から救うという大きな仕事ではないかも知れません。でも自分でないとできないこと—困っている友人に元気付ける言葉をかける、患者さんへのさり気ない証をする、PTAでの意義を唱える、仲間はずれされている人への優しい態度を示すなど—自分でないとできないこと、自分が立っている立場でないとできないことはあるのです。

「いつどこでも神に用いられるかも知れない」ということを念頭に入れつつ、少し勇気を出してその日その日を迎えますと、きっとワクワク感のある、生きがいのある人生につながります。

0 件のコメント:

コメントを投稿