あるホテルを取り壊して新しい建物を建てることが計画されていた。
そのために解体作業の業者たちはホテル中、完全に崩されるように爆発物を仕掛けてきた。
いよいよ取り壊す日が来た。遠く離れたところで監督が爆発スイッチを入れる1分前、部下の一人が走って寄ってくる。「監督!スイッチを入れないで!だれかホテルの中にいるかもしれません!」
「かもしれない?何それ?いるかいないか、どっち?」
「今の時点で確実ではないけれども、いる可能性はあります。」
「なんてこった!スケジュールより遅れると大変なことになっちゃうよ。遅延罰金が生じるし。ああ、面倒くさい!こんなことに時間を無駄にする暇はないよ。あと30秒しかない。はっきり言え。ホテルに人がいるか、いないか?」
「確かにいるとははっきり言えません。でもその可能性は間違いなくあります。しかも人がいったら、監督がスイッチを入れることは人殺しになってしまうので、止めてください。お願いします!」
6...5...4...3...2...1
さあ、あなただったら、どうする?スイッチを入れる?入れない?
+ + +
母の胎内にできた赤ちゃんは、人間としての命をいつから持つようになるのか。
確実に言えなければ、それでもあえておろすことは、人殺しである可能性はあるのではないだろうか。
「あなたはわたしの内臓を造り∥母の胎内でわたしを組み立てられた」(詩編139:13)
胎内の赤ちゃんは人間としての命をもっているかどうか、神はご存知である。その命が大事にされていることは、神の望み。
最も弱くて頼りない命を含めて、すべての命を大事にしましょう。
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