2012年5月12日土曜日

道を迷わないため(知恵の書4:16-5:8)

2012年5月2日「夕の祈り」オルガンコンサート
聖路加国際病院 聖ルカ礼拝堂

最近、久々に本格的に道を迷うことがあった。

ある老人ホームでのミーティングの予定があった。誰かと一緒に前に1回行ったことがあったところなので、大丈夫だと思った。およそ30分早く駅に着いたもので、余裕だと思って歩き出した。

持っていた地図はNGだった(という言い訳を使おう)。インターネットから印刷したアクセス・マップみたいなもので、目印は本当に少なくて、しかもそれだけ見れば、一回だけ曲がればあと直線で行けると思わせるような地図だった。

しかも、見た感じでは徒歩2-3分の距離しかないように見える。「前回来たときにもっと歩いたはずなのになぁ...」と思った。

出発して2-3分どころか7-8分もの歩いて、それでも地図にある目印一つも出て来ない。どんどん不安になってくる。

プライドを捨ててその辺を歩いているお姉さんに聞くことにした。(可愛い女性でもあったのは、話し掛けたことと何の関係もない!)

行きたい施設の名前を言ってもよく分からないようだった。地域ではこの施設が結構知られているはずなのに。

そして、お姉さんとやり取りをしているうちに気づいた:地図では、北が下になっている!

長年日本に住んでも何度も間違ったことである。アメリカではどんな地図でも、必ず北が上で、必ず南が下になっているのである。だから考えないでこのアクセス・マップを見て「北が上だ」と思い込んでしまったわけである。

急いで駅まで引き返して最初からやり直し!まだ時間があるので、間に合う!今度こそ大丈夫...と思いきや、また迷ってしまった。

確かに方向的にこっちだったんだろうなと思いつつ、見ている風景と地図に書いてあるものとあまり一致しない。

今度、完全にプライドを捨てて(相手も選ばず)誰かと擦れ違う度に聞くことにした。あるお母さんと娘さんに聞くと「ずっとまっすぐに行って右に入る」と言われたので、進んでいく。

だが、犬の散歩をしているおじさんに聞くと、向こうは自信満々で「あっち行かないと!しかも遠いよ!」と言われちゃう。

もう一人の人に尋ねたかったけど、その人は僕の顔を見てかなりびびってしまったので「すいません!」と聞くのをやめた。(そんなに怖い顔をしているかな?!)

かなり遠回りしてから、結局、先のお母さんの仰るとおりに行けばよかったことが分かった。

やっと会議の場所に辿り着いた。余裕で着くと思ったところで、20分遅れてしまって。

でももう一人、さらに20分送れて到着する人もいた。彼女に聞いたら、犬の散歩をしているおじさんに「あっち!あっち!しかも遠いよ!」と言われたらしい...(笑)
+   +   +
迷わないためにいい地図が大事だね。あるいはちゃんと案内してくれる人がいないと。

(また最近、歩行者用の携帯ナビも役立つだろうなと思う、アナログ人間であるわたしはそんなテクノロジーに向いていないと思う...)

一番いいのは、道が分かって同行してくれる人。

人生も似ているものだと思う。正しい道が分からなければ迷いやすいものだと思う。

先ほど、「知恵の書」を読んだ。聖書で言う「知恵」(ヘブライ語:ホックマ、ギリシャ語:ソフィア)というのは、ナビゲーションができるための教え、良い道に誘導する教え、というニュアンスがある。

今日の聖書のメッセージは、神さまがお造りになった世界だし、神さまがお造りになったわたしたちだから、一番良い道、一番豊かな道を案内できるのは神さまだ、ということ。

逆に神がいないかのように生きる人は迷子になってもったいない、ということ。

どのような生活をすればいいのか、分からない。だから、ブラブラしながら何とか生きていくけど、いつの間にか時間だけが経って、ひとかどの人生とは言えない自分がいる人は少なくない。

また、ただ周りに流されてしまう。世の中には、犬の散歩をしていたおじさんのように、変なことを言う人は大勢いる。
「大事なことはお金だ!」とか
「大事なことは自分を豊かにすることだ!」とか
「仕事で成功することが生きる意味!」とか
「精一杯楽しまなきゃ!」とか
「まず自分の幸せを考えないと」とか

そしてもちろん商売の舌先三寸はこれである:「モノを手に入れれば幸せになるよ!」というウソ。

このように、自信満々でこういったメッセージばかりが伝わってくる。

日本では、大勢の人が間違ったことを言ったら、それが間違っていても「常識」になってしまう!そして逆にそういう間違った考えに左右されないで、正しいことを大事にしようとする人はいつの間にか「非常識」になってしまう!

でも、それは日本だけではないようである:
「この[人たち]を、かつて我々はあざ笑い、/愚かにも、ののしりを浴びせた。その生き方を狂気のさた[=非常識、おかしい]と考えた...それがどうして神の子らの一人となり、/聖なる人たちの仲間に加わったのか。
我々はまことの道を踏み外した。義の光は我々の上に輝かず、/太陽も我々のためには昇らなかった。
我々は不法と滅びの道をひたすら歩み続け、/道なき荒れ野を突き進んだ。主の道を知ることがなかったのだ。
高慢は我々にとって何の役に立ち、/富とおごりは何をもたらしてくれたか。」

世の中では、人生の地図をさかさまにしている人、迷っている人、間違った案内をしようとしている人は大勢いる。これらの人たちに惑わされないで、本当の良い道を教えてくれる人を見つけるのが、わたしたちの課題だと思う。

一人一人の歩むべき道が分かっている方に尋ねるのが、知恵の始まりではないかと思う。

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