2011年6月5日日曜日

エステバンを見送って

(2011年6月、逝去者記念式、聖ルカ礼拝堂にて)

エステバンという、Aさんの教名・洗礼名は「信仰と聖霊に満ちている人」ステファノ(使徒6:5)にちなんで選ばれました。ステファノはスペイン語でエステバンになります。

ステファノは初期教会の最初の7人の執事の一人。使徒たちが祈りとみ言葉の働きに専念するため、執事たちが弱い人に仕える責任を担いました(給食活動などの福祉)。

しかし、ステファノは執事であったことよりも、その死に方で有名になっています。最初の殉教者でした(イエスに次いで)。

Aさん、ご病気がかなり進んだところで、洗礼を受けられました。どういう最期を迎えたいか、きっと考えていたと思います。

Aさんは、人間であったがゆえに、決して完璧な人生を送って来られたわけではありません。むしろ、いろいろな失敗をしたり、愛する人に傷つけたり、さまざまな後悔することもありました。

でも、これらのことに対して大変申し訳ない気持ちも確かにありました。自分にできることなら、取り消しをしたいことも。

残念ながら、それは無理なことです。過去は過去。

でも、これからは、せめて神とつながっていたいという思いはありました。たとえ残りの時間が少なくても、生まれ変わって、神の恵みにできるだけのお返しをしたい。おもに自分のために生きて来られたとしても、これからは、祈る心の中だけでも、人のために生きて行きたいという決心ができたのです。

神は、これ以上のことはわたしたちに求められません。イエス・キリストの福音・良い知らせは、まさにそこにあります。赦しに値するのではなくて、赦していただきたい、という思いさえあれば、神は赦してくださり、受け入れてくださるのです。

それに反して、人間はなかなか赦し気にはなりません。自分が(周りの人たちに、神に)いかに赦しもらっているか、気づいていないからです。

でも、神の憐れみはいかに広いことか。わたしたちがまだ、遠く離れている段階でわたしたちを赦してくださり、変わらない愛をもって祝福してくださるのです。

殉教者のステファノは、逮捕されて取り調べを受け、力強い証をしているとき、突然幻を見ました:
「ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見た。」(使徒言行録7:55)

このイエスさまのビジョンを見て、ステファノは勇気をもらいました。最後の最後までイエスに倣って生きるための勇気。リンチを行おうとする群衆のために赦しを祈り、そして希望をしっかり握って死を迎えるための勇気。

Aさんは、最期までしっかり祈り続けて、感謝の気持ちをもって死を迎えたと思います。

確かに粗削りの部分はあったと思いますが、(わたしと上田先生にいつもいい顔をみせてくださったが)神の恵みを頼りにし、そしてできる限り、祈りの業に励んで来られたと思います。

そういう意味でわたしたちの模範でもあると思います。

この礼拝堂が大好きだったAさんですが、この場所で今日、皆さんと一緒に見送りができることは、きっとご本人が喜んでくれることかと思います。

Aさんの人生を通して示された神の恵みに感謝し、兄弟の魂の安息をお祈りしたいと思います。

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