2011年6月9日木曜日

寄り添う、という癒しのわざ

(「下町聖公会ニュース」2011年6月5日号の教役者リレーエッセイ)

誰が翻訳したか分からないが、聖歌集の527番(「傷ついた人の祈りに応えて」)が大好き。特にその日本語のセンスの良さが。言葉数の多い元の英語の歌詞を、こんなに簡潔で優雅な日本語に直せるなんて...和英を行き来する者として、尊敬する。

音楽も好きだが、何よりも内容に感激。信仰生活の現実を把握している気がする。特に2番:「見えない明日への 恐れに苦しむ/愛は変わらずに 弱さに向き合い/心の痛みに いつでも寄り添う」。

病院のチャプレンとして、大抵の場合、できることは弱さに向き合い、痛みに寄り添うことだけである。無力感を覚えつつ。1歳半の子を亡くして涙止まらぬ母。先日まで元気だった伴侶とついにお別れをせざるを得ない夫。自分の体に裏切られた年配の方。

でもチャプレンが専念する「牧会」には、一人一人のクリスチャンもそれぞれの現場で関わるように召されている。イエスのいやしの働きに加わって。その際、人の苦しみに出合うとき、言葉も出ず、手伝うこともなくても、向き合う、祈りの中だけでも寄り添うことができるのだと思う。

イエスが先立って寄り添っておられるから、わたしたちも寄り添える。そういう業から、いやしが生まれるのだと信じている。

1 件のコメント:

  1. 私もこの527番のメロディと歌詞が大好きです。
    主日の聖餐式で歌っていると、何故だか涙が溢れてきます。
    そして、大丈夫。って思えるのです。 カテリーナ

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